ごんちゃんの温泉大国計画

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【僕が仕事を辞めた理由】

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僕は悩んでいた。

新卒で入った企業を辞めてまで、やりたい事に突き進むのか…

 

 

辞めることはリスクがある。お給料も下がる、社会保障もなくなる、社会的信用もなくなるし、安定もなくなる、親が悲しむ…

 

 

全ての語尾に「かもしれない」とつくが、いわば不安なことも多い。

 

 

 

それでも僕が、キャリアチェンジして前へ進もうと思った経緯を話そうと思う

 

 

 

 

1.もっと自分主導で人生を進めたかった

 

 

会社にいると、どうしても勤務時間や場所に縛られ、付き合う人も指定される

 

 

僕は、ある程度どんな環境でも順応できるタイプなんだけど、ある程度順応できるからと言って合わせ続けるつもりはなかった

 

 

 

理想はやっぱり「自分で自由に休むタイミングを選べて、一緒に仕事したい人と仕事ができること」だった

 

 

これを考えたときに、今の会社に居続けて実現するとは思えなかった

 

 

あとで詳しく話すが、仕事が全国転勤だったので、いくら異動の希望が出せると言えども会社に命じられたら断れないし、いつどこに飛ばされるかわからないのは、とてもキャリア設計や人生設計がしにくかった

 

 

 

「ここに居続けたら一生人生が会社主導になってしまう」

 

「これからは自分自身で環境を変えていくんだ」

 

 

 

 

そんな強い意志で一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

2.関西に基盤を置くことを決意

 

 

 

 

 

僕が辞める大きな決め手の一つになったのが、全国転勤からの脱却だ。

 

 

 

 

 

ある東京出張の昼休み、会社の同期とオシャレにランチを食べているときに(OLかよ…)、ひとりの男の子が言った

 

 

 

「もしさあ、どっかの国がミサイル撃ってきて、1時間後に日本全部吹っ飛ぶって知ったらどうする?」

 

 

 

 

 

僕らは考えた。

 

 

 

みんなが出した答えは人それぞれだったけれど、僕は

 

 

「大切な人たちと一緒に時間を過ごしたい」

 

 

と答えていた。

 

 

 

 

僕にとっての「大切な人たち」とは、家族や、親しい仲間達のことで、ほとんどみんな関西にいることに気がついた。

 

 

 

「もし今この瞬間、ミサイル撃ってきたら、僕は東京から大阪まで1時間で帰れないじゃないか…」

 

 

 

 

そう思ったときに

 

 

「僕はなんでこんなところで働いているんだろう…」

 

「何かあったときにすぐ駆けつけられる場所にいて大切にしたい人たちと時間を共にできる場所に、なんで僕は今いないんだろう」

 

「今もそのときも同じ、人生にとって大切な時間のはずなのにね」

 

 

 

そんなことを考え耽っていると、なんだか今の会社に居続けることが、本当に自分にとって良いことなのか懐疑的になっていったのを覚えている

 

 

 

僕にとってこの例え話は、非常に強烈な体験となった

 

 

 

明らかに僕のそれ以降の、大きな価値観の形成に繋がっている

 

 

 

僕は、そのとき大事なことに気付けて良かったと、心から思っている。

 

 

 

 

 

3.親の納得を得ることができた

 

 

 

 

 

そして、僕にとって一番大きな挑戦だったのが、親の理解を得ることだった。

 

 

 

 

え、そんなの裏切ればいいし、自分の人生なんだから自分で決めたらいいじゃん

 

 

 

と言う人がいるかもしれないが、僕にとっては大きなハードルだった

 

 

 

 

 

母親は特に、最初から反対だった。

 

 

「あんたはせっかくいいところ入れたんやから40年間同じところで働き続けなさい。その方が安定してるし、徐々にお給料も上がるから絶対良くなるよ。今はしんどくても、守られてるんやから」

 

 

母は本当に苦労して生きてきた。

幼い頃に実の父を亡くし、お母さんが再婚したため、親戚のおばあちゃんに引き取られた。

両親の愛情を近くで感じられないまま小・中・高と過ごし、親戚の家で厳しい扱いを受けながら育ってきた。

 

そんな母は就職を機に関西に出て、一人で自立した生活を送っていた。子供の頃苦労したこともあって将来のためにきちんとお金を貯めていた。そして父と出会った。

 

父は自営業を営んでいた。だが、結婚し僕と弟が生まれてからバブルが崩壊。時代の波と共に潰れてしまい、無職になった。

 

しばらくの間、父は定職に就くことができず、母の貯金を崩しながら家族4人生活していた。僕は当時何も知らなかったけど、今考えれば本当に大変だったと思う。

 

ただものすごくタチが悪かったのが、この状況でも父は昔から好きだったパチンコを辞められず、家のお金をくすねてはパチンコ台につぎ込んでいた。

 

そして毎日夜遅くに帰り、負けたイライラを発散し母と喧嘩した。

母は本当にすごいと思う。それでも精神を崩すことなく、まだまだ子供な僕と弟を大事に育てながら家庭を守った。偉大すぎる。

 

一方の父は、僕が中学生になる頃にようやく手に職がつくような仕事にめぐり合い、ちゃんと働き始めた。(それでもパチンコはやめられなかったけど)

 

話は逸れるけど、それでも僕は父が好きだった。どうしようもなく迷惑を掛ける父だけど、子供の前ではいつも大げさなくらい楽しませてくれて、いろんなところにも連れて行ってくれた。楽天的とはまさに彼のことだった。父が笑顔の時はなぜか母も笑顔だった。それが僕にとっての救いだったのかもしれない。

 

 

そうは言っても家計は火の車。母もパートをし稼いでいたけれども、やっと家族4人が暮らせるぐらいの収入だった。母は常々「あんたは絶対正社員になりなさい。ボーナスもあるしお給料もちゃんともらえる。真面目に頑張れば家族がいても養えるから」

 

僕も本当にその通りだと思っていた。

 

 

ありがたいことに、奨学金を借りながらでも大学まで行かせてもらい、いろんな人との出逢いを果たし、いろんな経験をさせてもらった。そして社会人になってもその活動は続けていた。

 

だが人に出会えば出会うほど、また自分の将来を考えれば考えるほど、その考え方は違うのではないかと思い始めるようになった。

 

人生100年時代、終身雇用の終結、少子高齢化、AIの台頭、個のスキルが求められる世の中で、常に新しいことに挑戦し、変化を続ける人材が生き残る。

 

 

僕はこのままでいいのか。会社にとって都合の良い人材に育てられているのではないのか、僕がほんとうにやりたいことはここにあるのか。考えれば考えるほど危機感を覚えた。僕はもっとたくさんの人と出逢い経験し、できる事を増やしたいと思った。

 

 

僕は母に伝えていた。入社当初から「ずっと続けるつもりはない」と。

 

母は悲しみながら言った。「最低でも3年間は頑張りなさい。というか辞めたらあかん。何言うてるの。お父さんみたいにならんといて」と。

 

僕が仕事をいつか辞めるという話をすれば、声が震え、毎晩電話がかかってくるようになった。

 

息子までこんな惨めな生活をさせたくない。

 

そんな本気の思いがひしひしと伝わってきた。

 

 

 

平行線が続く中、ついに2年目の冬、僕は起業する事を決意した。

もう友達にも連絡しまくって意志表示をした。あとは両親のみだ。

 

正直、両親が悲しんでも泣きわめいても、結果的に起業した方が自分も家族も幸せになれると確信していたから、なんと言われようと振り切って起業するつもりでいた。もちろん起業プランもしっかりと練っていた。

 

 

 

ある晴れた仕事の昼休み、僕は母に事前にアポを取り電話した。

 

「あのさ、僕起業しようと思う。このままじゃいけない。もっと幸せになるために。その報告で電話した」

 

 

母は少し黙ったのち、僕の本気度を察して静かに泣き始めた。

 

 

「なんでそんなこと言うんよ…」

「母さんこんなに苦労して育てて…あんたに幸せになってほしいと思うのに…なんで…」

「こんな苦労して育てた意味ないやんかぁ…仕事続けてよ…」

 

 

 

僕は何をどう言われても振り切って電話を切るはずだった

 

 

既に決断したし、僕の人生は僕が決めるんだ!と思っていた

 

 

なのに、実際に電話口で母の哀しむ声を聞いて急に

「だめだ」と思ってしまった

 

 

 

それは、なにかの糸がプツンと切れたように

 

 

 

「絶対にこの人を泣かせてはいけない」

 

 

 

という思考に変わっていた

 

 

 

 

その感覚は確かで、体中のいたるところから、哀しみの感情や、そのまま振り切っちゃいけない!というような想いが滲み出るような感覚だった。

 

 

 

それは間違いない感覚だった

 

 

 

 

 

 

なぜだろう、電話を終えたあと、あの楽天的で自由放任主義だった父も、会社を辞めて起業することには見事に反対だった。

 

 

 

 

 

こうして僕は、とりあえずもう1年、独立してしっかり食べていけるように準備する期間を設けることにした。と同時に、両親へ自分が今の仕事を辞めても大丈夫と言える証拠を用意できるように頑張ろうと思えた。

 

 

 

 

そして3年目の冬まで、両親へのあらゆる情報提供と、仕事と仕事外の活動の報告を頑張り続けた結果、「転職ならいいよ」という言葉をもらうところまでこぎつけた。

 

そしてちょうど転職先を探し始めたころ、「うちに来ないか」という人が現れ、あれよあれよという間に転職先が決まった。

 

 

縁とタイミングとはすごい。

 

 

 

 

結果的に、新卒で入った会社も、しっかりと3年間働き続けることができ、社内でそれなりに良い成果を残した上で、無事退職をすることができた。

 

 

 

長くなっちゃったけど、僕にとっての両親の説得、というより「納得」を得ることができたのは、とてもとても大きいことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことがあって、僕は【仕事を辞める】というアクションに踏み切ることができた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして、僕は今新しい環境に移り、これまでとは違う仕事のやり方に翻弄されながらも、理想の実現に向けてしっかりと歩みを進めています

 

 

まだまだやりたいことに向かって、山を登り続けている途中ですが、これからも頑張っていきます

 

 

 

 

 

 

この文章が、誰かのなにかを変えるキッカケになれば嬉しいです

 

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。